僕が10年以上人狼を遊び続ける理由

こんにちは。らすです。

このブログは人狼の戦術論とか、面白かった村の話とか、岐阜人狼会の話ばかりしている筈なのですが、中には「人狼 つまらない」で検索してここに辿り着いてしまう人がいる様です。

(ちなみに引っかかるのは人狼初心者と上級者は別のゲームをしている、と言う話で、困った事に何故か検索で上の方に出てきます…)

上はどちらかと言うとダメな理由が書いてあるわけですが、知らない人が読んだら面白くなさそう!と思われるのが嫌な感じです。
なので、このページに来た人狼を知らない人に向けて、
ちょっとだけお時間を頂いて人狼の魅力についてお話ししてみたいと思います。

他の趣味と比べられる人狼

リアル脱出ゲームとの出会い

リアル脱出ゲーム(※リアル脱出ゲームはscrapの登録商標ですがそれに類する遊びも含む)と言う遊びは、今でこそ市民権を得ています。しかし、僕がバイトの先輩のライブに行った時で知ったあるビルディングからの脱出や、実際に人狼友達のみんなで参加した夜の学校からの脱出(2010年)の頃は、まだまだ「知る人ぞ知る」どころか「何だそれ?」と言う感じだったと記憶しています。

僕はリアル脱出ゲームが非常に好きでした。
もちろん謎解きの質そのものが高いのですが、エンターテイメントとしてどうカタルシスを産むか、と言う点から見た初期の演出が魅力で、最後の指示で「成功した人」と「失敗した人」を視覚的に、はっきりと示す事でクライマックスを作っていたと思っています。

正解者と、正解者と思い込んでいる(そして、本当の正解者も仲間だと思っている)人の明暗が、謎解き成功の時のの達成感を高めていました。
scrapの作る謎解きゲームは、今は市民権を得て、また多くのフォロワーを生んでいます。

謎解きは解かれなければならない

とある縁があって、僕は大学生最後の1年間、今謎解きゲームやパズル製作者として活躍している人たちとよく遊ぶ様になっていました。
某商業ゲームのデバッグに立ち会った事があるのですが、その時の印象的な会話があります。

A「これ難しすぎない?1人称視点だよね?」
B「実際はマップないもんね」
C「これクリア後のエクストラステージだから、みんなが解ける必要もないし、ここぐらいは本気出したい」

この会話を聞いたのは2011年の冬なのですが、僕がそれまでお金を払って「解いてやった!」と思っていたのは、当たり前なのですが出題者の匙加減1つで変わる結果。

直接会ったことのない人をどうやって楽しませるかをずっと考えて、楽しませているんだなぁ、と感心しました。
どうしても謎解きが苦手な人もいて、合わないなぁと言ううちに辞めた人も中にはいました。しかし、出題者たちは彼らなりに人を楽しませる為にとてつもない努力をしているのは確かです。

人狼はどうでしょうか?

野球のチームプレイ、困難を乗り越える話が好き

僕は昔からのプロ野球ファンです。その中でもカープ、特に緒方孝市と言う人間のファンです。
若い時は高い盗塁成功率を誇る盗塁王として(この頃にライト緒方を市民球場で応援したのが最初の出会い)。
怪我をして足を前よりも使えなくなった後、円熟期はクラッチヒッターとしてスタイルを変えて活躍。
監督としては初年度こそ4位でしたが、カープをセ・リーグ3連覇に導く名宰相となりました。

漫画だとルーキーズ(集英社)が好きで、よく言えば王道、敢えて悪く言えば使い古されたストーリーではありますが、不良が野球部で真面目に練習して、挫折や笑いを経験しながら甲子園を目指す、と言う話。

「困難に立ち向かい、それを打ち倒す」と言う事は、人間の普遍のテーマになります。

人狼はどうでしょうか?

どうして小説は人の心を打つのか

現代は多くの文章が読まれ、その中でも実用書ではない物語が生まれています。
「影響を受けた本は?」と聞かれて、全くないと答える人の方が少ないのではないでしょうか。

つまり、物語は誰かによって作り出された或いは語られた創作物であらにも関わらず、見た人には確実に影響を及ぼす事が出来る訳です。どうして影響されてしまうのでしょう。

人が想像する力を持っているからだと思います。
時には全く違う人間の人生を追体験させ、時にはもう一人の自分や有り得ない風景すらもを文章の中に見出してしまう。そう言う力が、創作された物語にはあります。

人狼は?

誰もが負けうる世界の中で

僕は、人狼は、これらが全部詰まっている贅沢なゲームだと思っています。
時には1人の洞察により村が救われる物語に――
時には真実を訴えかけたにも関わらず信じられず村人が処刑されると言う悲劇の物語に――
時には力と力のぶつかり合いによって相手を打ち負かし、あるいは逆に負けてしまう事があり――
そして、才能あるにも関わらず運悪く排除されてしまうと言う可能性を誰もが持っています。人狼をすれば、一度として同じ物語は生まれません。

間違っても最後に勝てばいい!

このドラマを生むのが、一見嫌われ、排他的に見える「処刑」と言うシステムです。

経験者の方は知っての通り、人狼は初日から100%人狼を処刑するのはとてつもなく困難なゲームです。
ですので、このゲームをやれば誰しも間違える経験をするでしょう。

この「間違っても引き返せるチャンスがある」と言う事はとても大切な事で、「どの様に失敗をすれば良いのかという事」そして、「居なくなってしまう人たち」にスポットライトを当ててくれます。

だって、村人の時に毎回人狼を当てる人が居たら、その人は1回間違えたら絶対人狼ですし、自分より当てられる可能性の高い人の言う事にいつも従うのが最善の戦略です。
とりあえず誰かの言う通りにやれば良いゲーム、そんなの本人以外誰も、いいえ、ひょっとしたら本人さえも楽しくないのかも知れません。

幸いにして、僕の周りにはそう言う人は居ません。

いろんな人狼人生を送って、たくさんの失敗と成功をしよう

人生順風満帆で、生まれ変わっても自分以外には絶対になりたくない。そんな人は人狼をやらなくても良いかも知れません。
嫌味ではなく、ただその人自身の人生だけを幸せに過ごせれば良いと思います。

しかし多くの人はそうではないと思います。
もしかしたら大きな失敗をして排除されてるのが怖かったり、人狼を「自分の正しさを声を大きくして言う奴が勝つゲームなんでしょ?」と感じ、人狼から離れた人もいるかも知れません。

僕自身も時には人狼を休憩したり、色んな出来事で大きく傷ついて暫く離れた事もあります。それでも何度でも戻って来ました。

僕が人狼を遊び続ける理由

僕が人狼を遊び続ける理由は、このゲームが「失敗しても、ダメでも、失敗を見て救われる(仲間が勝つ)人も居るんだ」と言う事を強くメッセージとして受け取れた。
同村者一人一人を同じ物語を紡ぐ登場人物として、人狼を通して段々と受け入れられる様になっていけた。
強者が敗者の役割を演じる事。弱者がそれを利用して勝者になる事が出来るゲーム性。

嫌いな世界の楽しさや他の人の存在の大切さを、少しずつ教えてくれる。
色んな人の存在を、認める事が出来る様になるゲームだから。

だから僕はまた村に入る。
主役に、誰かの引き立て役に、道化になる為にさえ入る。
目の前のイヤな人を愛せる様になる為に、理解する為に、

そして、最高の死に方の練習をする為に、また村に入るのだ。

「また会いましょう。次に会う時は、また違った私で。」