僕に向かって伸ばした指先は緊張で微かにふるえている。
その目は泣き顔と間違えんばかりに潤んでいた。けれども、
「私は必ず、あなたを吊ります。」
瞳はそう言う決意で、僕を見ている。
人狼プレイヤーはそれぞれの歴史を紡ぐ。
人狼を始める前、きっと以下の様に育って来た人も多いと思う。
「協調性を持って」
「人にやさしく」
「目上の人には敬意を示しなさい」
そう言った日常での縛りを全部取っ払って、
「あなた方は今は、人狼のいる村の村人です。さぁ、無実かもしれない人々の中から人狼を探し出して殺しなさい。」あるいは「あなたは人狼です。無辜の民たる村人を疑い合わせて、村を滅ぼしなさい。」と言う宣言をされる──
──人狼はそう言うゲームだ。
僕の様に、違った自分を演じることに対して魅了された人がいる。
かたや、突然別の役割を与えられる事に戸惑いながら人狼をやっている人が居て、そういう人が訳も分からないままゲームから除外されてしまう――と言うのも、人狼をやっていて(非常に残念な事ですが)度々目にする光景になる。
いきなり大げさな話を、と思うかもしれないけれど、「人狼の歴史」と言う単語を使う事が仮に許されるのならば。
僕はそれは、ルールを作った人ももちろんの事、「色んなコミュニティでプレイされてきた人狼というゲームの集合」を指すと考えている。もっと細かく言うと、「プレイヤーが今までプレイして来た人狼」の集合体である様に思う。
どういう事か、僕の言っている事が訳が分からないって思った人も多いと思う。
でも、例えば下のように言い換えても良いかもしれない。
今は息を吐く様に人狼で捏造できる人だって、最初は与えられたペルソナの違いに戸惑ったり、慣れていない「敵対する事」の恐怖に負けて寡黙で吊られたりしていたかも知れない。けれどもどこかで、何かをきっかけにして、人狼ゲームの舞台で役割を演じることを学んでいるのだと思う。
何かに立ち向かう時の恐怖心の様なものは、人生において普遍的なものだ。それは小学校の時のガキ大将だったり、親だったり、或いは大人になっても完全に消し去ることは難しい。
だからこそ、それをを乗り越えるきっかけや、乗り越えたシーンが描写された時、全くの第3者から見れば成長物語として楽しむことも出来る。また、仮に人生が物語の一部分であると見做すならば、このような場面は間違いなくクライマックスに置かれるべきモノとなりえるだろう。
人狼プレイヤー個人の経験してきた人狼ゲームは、
本質的に物語性を帯びる事が出来るものなのだと僕は確信している。
そしてそれを乗り越えた経験の蓄積から感情が削がれて、普遍的なノウハウになっていく。
今僕たちが知っているセオリーの中にも、きっと誰かの歴史が含まれている、と言い切ってもいいだろう。
背筋の伸びる偽黒
2017年11月2日、人狼HOUSE名古屋で、僕は騎士の役割を与えられた。
10人村占霊騎狼2狂1残り村の初日占なし連続ガードありのレギュ、初日霊欠け占2COが確定して、占い師を護衛しようとした。占い師候補は2人。
どちらも寡黙ではあったけれど、そのうちの片方の占い師候補が、初日の投票時に真剣に考えている姿を見て、その人に護衛を決めた。
村人は素直に村らしいと感じられ、まとまっていた。黒い所が素直に狼では?と、その様な進行になっていたと思う。
僕は村視点白視されつつも適度に黒も見られる位置で、初日の襲撃は別の所に飛んでくれた。
次の日の夜明け、僕は護衛した占い師候補に偽黒を出された。
偽占い師は、初日の僕の動きを上手く狼要素にすげ替えていたし、真摯な姿勢は彼女こそがこの村の真占い師であると感じられるに十分過ぎるものであった。
僕は無言で自分が騎士である事を宣言する緑色のプレートを取って自分の前に置き、彼女を一瞥した。しかし、一瞬陰った様にも見えた彼女の目の持つ力は、すぐに元通りの意思を持っていった。
そして、村の中へ凛として呼びかけていた。
恐らくは人狼である彼女の言葉には力があり、村側は味方同士であるにも関わらず、「もし本物なら、GJ出せば真確定だから余裕でしょ」などと、舐めた様な事を話させてしまう。
狼と村の間には、ハッキリとした勝負への覚悟の差が感じられた。
このままで村の意見を持っていかれると焦るが、起死回生の考察は出てこない。
一方で灰狼は、この様な村の中で浮いていた。
吊られた相手や疑い先の相手が白前提であるかの様な発言を2回ほど落とし、程なく処刑された。
もちろん僕も票を入れていたが、偽占い師は自分が灰狼に票を入れた事を理由に、きっちりと対抗の灰村人に票を入れたのだ。
次の日の朝、前日票が集まっており、余裕綽々な発言をしていた村人が襲撃された。僕は最も失いたくない、頼りになると思われる村人を護衛した。しかし偽占い師は敢えて、その村人に白を出し確定白とした。襲撃先を占って白と言えば灰は狭まらないにも関わらず、最も力のある村人を判断役にして、「GJが出れば真確定の」騎士を処刑先に選んできた。偽占い師の瞳には、変わらず力が宿っていた。
真っ向からの信頼勝負のダンスに、手を差し伸べられたのだ。
推理と説得の狭間
僕は、「偽占い師が前日疑っていた、襲撃された人物が占い理由に含まれていない事が、人狼の意識漏れである」と言う事を起点に、確定白に説得をはじめた。
生存者は偽占い師、真占い師、騎士の僕、確定白、片白、完グレの6人。
決定権の無いだろう片白は、恐らく自分を真と見てくれているだろう。でもこの人に、確定白に真だと見られなければ意味がない!
偽占い師は、初日の僕の村人に対する態度、イコール「黒視から触って反応を見て村人視に変える」と言う動き……を人狼が出来を作りたくないが故のものと言い、自分は一生懸命に人狼を探し、迷ってきた事を繰り返し主張し、まっすぐ確定白を見る。確定白は、「完グレの黒要素を挙げてくれ」と僕に指示を出す。
すなわち、2狼生存の検討をはじめるフェーズに入ってしまった。
自分の推理に準ずれば完グレは村人か狂人だが、「僕が人狼仮定、仲間狼の黒要素は挙げにくいはず」だから敢えて振ったなコノヤロウ今日吊りたいのは偽占い師なんだけど!?
……この時点で「僕はこの村でこの偽占い師には、単体での信用度ではもう巻き返せない。」
と言う判断をした。そう言う判断をしたけれど、村が勝つ目を残す為に、自分が狼候補皆とラインを切ることで推理に繋がればと言う思いで、完グレの狼要素をヤケクソで挙げまくった。
決定は▼僕。次の日の襲撃は確定白だった。
絶対に吊ると言う意思
4人での最終日。
偽占い師は対抗狼の判定ではなく、視点2択となる白判定を出た。
その後完グレに疑いを向けた結果、疑い返しを受けてそれを跳ね返せず、2票ずつで完グレとのランダムとなった。
そして村がランダムに勝利し、奮闘した偽占い師は敗北してしまう事となった。
けれども、もし最終日に対抗への黒判定であれば。
偽占い師自身だけを、村側が見るような展開になっていれば。
狼陣営は村側の2票ともを得ることが出来ただろうと、そういう風に思った。
そして、もしそのような展開になれば、最終日も偽占い師はあの瞳を真占い師に向けていたことだろうと思う。
最終日と、最終日前日の結果を分けたのは、
多分きっと、困難を乗り越えてでも必ず敵役を吊り切ると言う意思。
可憐な人が、人狼というゲームだからこそ見せる姿だから、皆魅了されていた。
けれども、この村の偽占い師は、これからも色んな村できっと魅了し続けるのだろう。
偽黒を出された僕が一番、偽占い師に相応しい相手かどうか考えるぐらい、今までで1番美しい偽黒だと感じたのだから。
おわりに
人狼は、他の沢山ある娯楽と違ってどう言う楽しさを持っているのだろうと考える事が、時々ある。
非日常に飛び込んで議論をして、それぞれが与えられた役割に沿って最善を尽くせば、そこに生まれるドラマは間違いなく最上級のエンターテイメントであり、上質な小説や映画観賞にも勝るものがある。
そう言う事を、僕は確信している。
このブログで、人狼で僕が感じている高揚感みたいなものが少しでも伝わってくれると、とても嬉しいのだけれど。