長期人狼、しっかり準備をして臨んだらやはり最高の体験だったのと共に、一部にますますよくない傾向が生まれているなと思いこの記事を書いています。
あなたが勝敗のある村に入る時、目的をどこに置くか。
プレイヤーとしての称賛か、物語のピースとしての動きか、推理小説の優秀な読者か。
今回はそんなお話です。
人狼プレイ、意識の三層
人狼プレイヤーが人狼ゲームをする時、
その意識は三層に分ける事が出来ると考えています。
一つ目は、PL層。
“PLayer”すなわち、村の中のキャラを演じる本当のあなた。
本来は村の外から視点高く、村の中を眺めることが出来ます。
二つ目は、PC層。
“Played Character”
「PLに操られた人格」としてのあなた。あるいは村の中のキャラクター。
三つ目は、RP層
本来の“Role“(役割)と言う意味に沿った意味での”Role Play”です。
これらは本来分かれているべきです。
特に対面人狼でいっとき物凄い勢いで誤解されているのを感じました。
3つを分ける、特に同一視されがちなPLとPCを分ける練習を積極的にするべきです。
ここを分けることが出来ないと、「推理をかっこよく当てる」と言う欲が、PLとしてのものなのかPCとしてのものなのか分からなくなります。
これがPL本人の価値観や認められたいと言う気持ちとの化学反応を起こすと、例えばネット人狼であれば同一人物別IDでの多重ログインに、対面人狼であれば夜時間の開眼行為へと繋がってしまう訳です。
また、自分はそんなに上手く思われたい訳じゃないから大丈夫、関係ないわ……と言う人にも気をつけて欲しい事があります。
PLとPCが分かれていないと、PCやRPに対しての批判をPLとしてダイレクトに受ける様になってしまいます。
人狼のプレイがどんなにダメだったからと言ってPLの尊厳が損なわれる訳ではないし、そもそもダメだと言ってる相手もPCであり、フィクションです。
でも村の外で認知の歪みを押し付けてくる輩からはそっと離れましょうね。
関連して、別に該当人物が他人に迷惑を掛けている訳ではないのですが、
対面人狼においてある出来事がありました。
アルティメット人狼10の後の、PCに対する一部の評価も個人的には不気味でした。
選ばれなかった事で、PLとしての自分が評価されなかったと感じる人がいた様です。
なお僕はお金払ってアルティメット人狼10出ようかなと思うぐらいにはアルティメット人狼は好きだし、
東海予選で選ばれた2人含め決勝出た方々は本当に素敵な人たちだと思っているので念のため。
また、人狼のプレイは、社会的な成功とは関係ないと割り切ってしまいましょう。
(とは言え話を聞いていると、ゲームが上手い人は基本的な処理能力が高いからかお仕事でも活躍されている方は多いです。
ただ、それは勉強が出来るから学歴がいい、と言った様な当たり前のレベルの話なので別に取り立てて騒ぐ様なものでもないでしょう)
人物像考察・中身推理対策としてのRP
人狼には人物像考察なるものが存在しています。
あしなさんの戦い方メモ
が自分の観測範囲では初出ですが、自分自身も人物像考察が得意な村人、人狼としては感情偽装が得意な人狼としてF1000番代中盤〜後半を戦っていました。
ところで、この人物像考察ですが、考察を発言として残す際に非常に気を使う所が多いです。人物像考察や感情の動きで狼を探すと言うことは、必然的に「人狼が村人として騙れなかった箇所」としての指摘になります。
裏を返すと、人狼視点では村人を主観的に演じているので「それは決めつけでしょ?」と言う反論しか出来ません。そして、疑い相手が本当に村人だったとしても「決めつけでしょ?」と言うふうに感じる所が厄介です。特性としてソリッドな、反論しにくい考察手法であると言えます。
この疑いをどうやっていなすかが楽しさ(人によっては苦しさ)なのですが、多くの場合の最適解は「相手の思う人物像通りに行動する」となるでしょう。
大事なことなのでもう一度。
「相手の思う人物像通りに考察する事が多くの場合最適解です」
これが出来る様になれば、PL(本人の思考)とPC(議事に残るキャラとしての発言)を分ける事が出来る様になった、と捉えて差し支えないでしょう。
また、PLである自分は、PCとPCの会話を一段高いレイヤから眺めている状態になるので、自然と解決案も生まれやすい状態を作れます。
PLとPCの分け方
僕は対面で役職人狼をやる時、「自分を喋らせる」様にしています。瞑想をやる人には伝わりやすいかもしれないのですが頭頂部、つむじのあたりに意識を集中しながら、そこを起点に自分自身を操作します。
長期人狼の時は集中する場所がおでこの少し上あたりになりますが、それが何を意味してるのかはあまり深く考えていません。もしかしたら使う分野の脳に自然と血を送り込む様になっているのかもしれませんが……。
長期人狼でのPCの分け方ですが、入村前にキャラ設定をある程度作り込みます。
ここで言うキャラ設定は、200X年生まれで……とか言う意味ではありません。
「何を嫌い、何が好きで、どう言う価値観を持ったキャラクターなのか」と言う価値観を明確にすると言う意味です。
自分と違う動きをエミュレートする形になるので最初は大変かもしれません。しかし、これを作り込む事で、村中の動きにグッと説得力が生まれてきますし、作り込んでいるにも関わらず「こう言う人なんだなぁ」と思ってもらえます。
キャラを覚えてもらうと言うことは、読み手の負荷減少につながります。
化粧で言うなれば、濃いナチュラルメイクなんだと考えて行動しましょう。男子はみんな好きだよね?
感情の抑え込みも発露も技術
ここまで、「PLとPCを分ける」と言う観点から色々とお話しさせてもらいました。
小説で感情的になってるキャラクターがいて、そのキャラに対して「泣くなんてダサいから作者は泣かせるのをやめて欲しい」などと思う読者がいたとしたら、その人は物語に入り込めてないでしょうし、仮に地の文で作者が突然説教し始めたら興醒めです。
おそらくあなたも「物語の中の登場人物が」感情的になっているキャラクターを諫めたり、優しく慰めたりする事を望むでしょう。
村の中でも同じことが言えます。
「登場人物としての反応」を繰り返し展開していく事で、群像劇としての人狼ともいえる
「名ログ」と呼ばれるものが出来上がっていきます。
もし村の最中に嫌な事を言われたら、PLではなくPCとして言い返せば良いのです。
創作物であるPCの発言に、リアルなPLであるあなた自身が恐れたり、傷ついたりする事は何もありません。
そして、あなたに向けられた悪口や嘲笑は、人を不快にさせるものではなく物語のスパイスとして昇華される事でしょう。
群像劇としての人狼の創作へ
自分ごとになりますが、まだ参加者じゃなかった頃に読んだ人狼BBSには「おすすめログ」と言うものがあって、読み物として読み応えのあるものが沢山ありました。
それは、PLとPCが分かれているが故に、PC同士がしっかりと人狼のあらわれた村の村人として演じられており、また、PCにとっては生死を掛けた戦いであるからだと考えています。
負けたら村が滅ぶと言う大きな嘘が、ログの緊迫感を増すのに一役買っているのです。
自分が死ぬかも知れない時に呑気に寝てるのは初日犠牲者であるゲルトぐらいなものです。
これを読んだみなさんは、今日から自分自身ではなくPCを村に入れてあげましょう。
それをやれば、その時点でPLとしてのあなたと同村者は共に村を作る仲間です。
例え勝ったとしても負けたとしても素晴らしい村を作り上げる体験ができる事でしょう。
関連ログ
F1986村
PLとPCが完全に分かたれた狼のログ。初見は鳥肌が立ちました。
G017村
こちらは自薦。中盤までは典型的な、PCを分ける事が出来ずに荒れてしまった村。この村の最終日の皆がどこまでPCとして動いていたのかは分からないけれど、やっぱり僕はこう言う村が良ログに思う。