印象論からの脱出 -黒視されている村人から見る狼探し-

この記事は約3分で読めます。

この人の言動が何だか怪しい。
探りを入れてみてもやはり人外に思えるので吊りに行こう!……抵抗もされたけど、何とか吊れた。しかし霊判定は人間だった。違ったので次の黒い人を見つけなきゃ。

よくある光景ですが、村の滅ぶ典型のような展開です。
今回は、上の様なパッションや印象論から半歩脱却する村の見方をご紹介します。

村人が黒視される原因

黒視される村人には幾つかのタイプが居るように思います。ありがちな例を3つ挙げます。

1つは言語化不足。
感覚で何かを捉えているが、それと発する言葉の間に差異ができ、納得されず違和感として周りに取られてしまいます。広義の寡黙もここに含まれます。

もう1つは信念タイプ
自分の中での村人像、人狼像に振り回され、周りとの評価から乖離してしまう。

そして最後に誤読タイプ。
そもそも本人が汲み取っているもの自体が他の人と違い、かつそれが誤っているため、強引な黒塗り・無意味な議論などに見える。

後者2つに関しては「推理を間違っている困った村人」として吊り処理を辞さない構えで望み、発言力を下げる事で村において対応していきますが、1つ目の村人はその目を借りる事で、村における視界をクリアにすると共に、村人を吊りたい狼の意図に気づく事ができます。

黒視された村人から見えるもの

言語化不足のタイプにはどのような人物像が想定されるのでしょうか。
「人狼ゲームそのものの経験が浅く、状況を表すだけの言葉を持たない。」
「文章読みのリアル経験の少なさ等によって語彙力(基礎学力)が不足している。」
「わかりやすくしようとするあまり、一般論的な言葉の羅列になる。」
「そもそも要素の機微が細か過ぎて、伝える事が容易でない。」

などが挙げられます。
ここで重要なのは、言語化不足のタイプは「推理力」とは無関係に疑われている、と言う事です。

即ち、この村人からの視点というものは、(ひょっとしたら発言力のある実力者以上に)信頼出来る可能性があるということです。

例えば、疑われ方。
白側にいる自分からは気が付かない感覚を彼らは持つことが出来ます。
「この人は触りたがっていない」「この人は理不尽に疑っている」「乗っかってきた様に感じる」
例えば、立ち位置について。
「自分が吊られたらこの人は吊り逃しちゃう」

etc.

話変わって、人狼側、つまりゲームを作る側から見れば、「黒視された村人からは狼が見つけやすい」と言う事は裏付けられます。
なぜなら、そもそも発言、日本語は「この人には伝わるけれど、別の人には伝わらない」と言うものです。(説明する人によって話し方は変えますよね?また、これを利用した狼の戦術を、別の記事で書いています。)
ですので、最終的に説得の必要がない人物、吊りや襲撃で死ぬ人物や発言力のない人物には、リソースを割きにくいのです。

16人全員に響きながらもきちんと発言力のある人からの白視を貰うと言うのは、多くの場合難しいものです。

吊り位置に来たあなたの村の黒い人は、狼でしょうか?それとも、どれかのタイプの村人でしょうか?
これを考える事で、無実の村人の真実を見抜いたり、あるいはそれを貶めようとする狼の意図に気づき、正しく村を導く事が出来る様になると、僕は考えます。

タイトルとURLをコピーしました